ずっと 君と いたかった ―――




White lie

-2-




とぼとぼとした足取りで大学を出て15分程歩き、到着した平次のマンションを見上げた。

あのままあそこから出られずに、平次の約束をすっぽかしてしまった。


―― …何、やってんだよ…俺…


あの後まだ授業があったのに、それさえも受ける気にならなかった。

平次を待たせているのに。待ってくれているのに。


けれど、平次の前に出ようとすると、どうしても足が動いてはくれなくて。

それでも平次の傍に行きたいという想いから、自分の家ではなく平次のマンションに来てしまった。

平次の部屋の前まで行くと、ドアを背にして座り込んだ。



―― 服部…



別れる事が自分にできる唯一のことだなんて…。

膝を抱えて顔を埋め、ぎゅっと目を瞑った。


一緒に、いたい。



これからも、ずっと……ずっと……。



けれど、だからと言って平次の夢を新一が奪ってしまっていいわけがない。

どうすればいいのか、全然解らない。




……違う。


本当は…解っている。



平次の、子どもが欲しいという夢を叶えるには……自分が傍にいなければ、いいのだ。



答えはそんな、簡単なことだけれど。

新一にとっては、とてもじゃないけれどできないようなことで。


神様がいるのなら、是非とも教えてほしい。


そして…自分を…平次を救ってほしい……。








「工藤!!」

「…え?」


突然響いた声に、新一は驚いて顔を上げた。

幻聴かとも思ったが、顔を上げるとこちらに向かって走ってくる平次が見えた。


「…服部…何で…」


まるで夢を見ているかのように呆けた新一の声に、平次は怒りをあらわにした。


「何ではこっちのセリフやろ!遅い思うて迎え行ったら向日と永瀬はもうとっくの前に別れたっちゅーし、ケータイも電源切れとるし!めっちゃ焦ったっちゅーねん!」

「あ…悪ぃ…」


そういえば2限目は携帯電話の持ち込みにとても煩い先生だったので、電源を切っていたのを思い出した。そしてそのまま携帯の電源を入れるのを忘れていたのだ。

力なくそう謝ると、平次は小さくため息をついて新一の腕を引いて立たせてくれる。


「何でこないなトコに座ってんねん!?何かあったんか?それやったら俺に…―――っ!!」


新一の顔を覗き込むと、平次はぎょっとしたように目を見開いた。


「工藤!?どないしたんや!?」

「え?何が?」


顔を見るなりどうかしたのかと言われても、新一にはよく解らなかった。


「何がて、自覚ないんかい!ええから、早よ入れや」


平次が慌てたように急いで鍵を開けると、有無を言わさず部屋の中へ入れられた。


「あ、ごめん、俺…約束、すっぽかしちまって…」


いらぬ心配をかけてしまったことを反省して謝ったのだが、平次は新一の言葉を塞ぐようにまくし立てた。


「そんなんええて!とりあえず、堪忍な!」


どうして平次が謝るのかと不思議に思う間もなく、新一に浮遊感がもたらされる。


「え、うわっ!」


いきなりだったのでバランスを崩した新一は、急いで平次の首にかじりついた。

そのまま平次は器用に玄関の鍵を開けると、早足で部屋の奥へと進んでいく。


「あ、俺、靴履いたまま…」

「ええから!」


有無を言わさない平次の態度に、少し不安になっていると、見慣れたベッドにふわりと下された。

ぎょっとして靴を脱ごうとした新一の手を平次は制し、靴を脱がしてくれた。


「服部!?俺、靴ぐらい自分で…」

「ええから!横になっとけや」


そう言われ続けているものの、何だかいたたまれなくて新一は少しだけ上半身を起き上がらせる。


「服部、どうしたんだよ?俺、全然大丈夫で…」

「大丈夫なワケないやろ!顔、真っ青やで!」

「え?」


言われて、そうなのか?と首をかしげる。

そんな新一の姿にため息をついた平次は、布団をそっと掛けてくれた。


「ちゃんと大人しぃ寝とれよ?今飲みモンと、何か栄養あるモン作ったるから」


な?と安心させるように笑った平次に、何故か心が切なくなった。



いつでも新一のことを優先する平次。

いつでも…いつだって、新一のために平次は行動する。


―― …んでっ……そんなに優しくすんだよっ…!


自分は平次のために別れを選んでやれない人間なのに。


答えが解っているのに、言いだせない、卑怯な人間なのに…。


平次が部屋を出てしまってから、新一は声を殺して少しだけ…泣いた…。










 











数十分して平次が土鍋を乗せたお盆を持って入ってきた。

正直食欲のなかった新一だったが、ふたを開けた瞬間漂ってきたいい香りに食欲をそそられた。


「ホレ、野菜いっぱい入れたから、ちゃんと食えや?熱いから冷まさなアカンで?」


そう言う平次はベッドに…新一の真横に腰かけている。

そのまま肩を抱きよせられた、この状態。



新一はチラリと平次を見ると、ポツリと呟いた。



「…食べにくいんだけど…」

「ん?何がや?」


「…や、だから…オマエ、近いし…」

「あぁ、気にせんで食べ」


―― っ気にしないでいられっかよ…!!


そんなツッコミを心の中でしながらも、こうなってしまえば平次はてこでも動かないことを知っているので、そのままにしておく。

レンゲにお粥を掬って冷ましている間も、平次の視線が注がれる。

本当に、食べにくい。

けれど。

平次がこんなに近くにいることが、本当は嬉しいのだ。



『別れ』



不意に脳裏にその言葉が掠めた。


「っ!」


こんなに優しい平次に、自分は甘えきっていることは、自分が一番よく知っていた。

自分の中が、ドロドロと汚い感情で溢れている気がしてきた。



どうして自分は…。



「工藤?」


レンゲを持ったまま固まってしまっていたのだろう、平次が不思議そうに声をかけてきた。


「あ、あぁ。んじゃ、いただきます」

「おう♪」


パクリ、と一口食べる。




瞬間。




自分の中の汚い感情が…パッと溶かされた気が、した。





おかゆの所為だけではない熱が…平次の暖かさが、口の中からじんわりと新一の中に染み渡る。





その暖かさに…どうしようもなく、癒されて…。





新一の瞳からは思わずポロリと涙が零れ落ちた。








「!くっ、工藤!?どないしたんや!?何で泣いて…」


突然泣き出した新一に焦って、慌てたように、けれどもそっとその涙を拭ってくれる平次に、クスッと笑みがこぼれた。


「…悪ぃ…ちょっと、熱かった…から…」


何て事ない言い訳を口にすると、平次はホッとしたように緊張を解いた。


「そないに焦って食べんでも誰も取らへんよ。せや、俺が食べさせたろか?」

「…バーロ。…一人で食える…」


ウキウキしながら食べさせる気満々な平次を軽く睨みつけて断ると、ふっと笑って再びおかゆを口に運ぶ。



暖かいと、想う。



これはきっと、平次の暖かさ。




ようやく、一番大切なものを、思い出した。





どうして忘れていられたのだろう。






暖かで優しい、この気持ち。





思い出させてくれた平次に、心から感謝する。





新一にとって何よりも大切なもの。





『 服部 平次 』





そして何よりも愛しい平次の幸せは、こんなちっぽけなものではなくて。

もっと大きくて。もっと毎日が幸せだと思えるような未来が平次にはあるのだ。

自分が平次の幸せを阻む足かせとなっているのなら…解放してしまおう…。

そう、素直に思えた。



ただただ重く疎ましい足かせなんて…。





……引き千切ってしまえば………いい……。










 











お粥を完食し、落ち着いたところで平次が新一の髪を撫でた。


「ほんで?どないしたんや、急に。何かあったんか?」

「………」


とっさに言葉が出なかったけれど。


今しかないと、思った。


もうこのチャンスを逃したら…きっと、もう二度と言えないだろうから。


瞳をゆっくりと閉じて。深く深呼吸をして。心を、決めた。


「服部、別れよう」

「…え?」


この場の空気が凍ったのが、見えた気がした。



そして言ってみて初めて、別れの言葉がこんなに痛いものだと知った。


けれどもう、引き返せない。


どんなに痛くても…引き返すつもりなんて、ない…。



「前々から思ってたんだよな、俺。まぁ、服部って何でもしてくれるから今まで言い出せなかったけど」

「……な、に…言うて…」


ちゃんと自分は冷静そうに見えるだろうか?


声は震えていないだろうか?


そんなことを考えながら、平次が傷つく言葉を選んで…告げていく。


「最初は興味本位だったし、別に別れる理由なかったからズルズル続いてたけど…何かすっげぇ面倒になった。軽い気持ちだったし俺はいつ別れても良かったんだけど、服部が一人で熱くなっちまうなんて計算外だったぜ」


クスクスと笑って言うと、震えた平次の声が聞こえた。


「…じょ、だん、やめぇや……冗、談やろ…」


懇願するような声に、身を引き裂かれそうになったけれど…出てきたのは酷く乾いた嘲笑だった。


「つーか、男同士っていうのに元々無理があったし。正直、気持ち悪ぃって思ってた」


「冗談やろ、工藤ぉ!!」


カッとなった平次が怒りをあらわに肩を掴んできた。


平次の温もりに、切なくなる。




けれど。




「触んな!!」




パシッと思いっきり、平次の手を振りほどいた。




「―っ!!」




正直、振りほどかれると思っていなかったのだろう、平次は呆然としている。


「悪ぃけど、冗談じゃねぇよ。俺、我慢してお前と付き合っていくのも、もう限界だし」


信じられないものを見るような瞳で平次がこちらを見つめてくる。

その視線が、何よりも痛い。


そんな傷ついた平次を見たくないから…早く。


罵声でも何でも浴びせて。


殴るなり何なりして。




早く…追い出して欲しい…。





「…好きやて、言うたやんか…アレはどないなんねん!!」


―― …そんなの……ずっと好きに決まってるだろ……


思わず、心が本音を喋っていた。

けれど頭の中は妙に冷静で。ここまできたら、堕ちるところまで堕ちるしかないと、思った。


「あぁ、服部のことは好きだよ?便利だったからな?」

「っ―――!!」



痛くて、辛くて、悲しくて…。


これほど苦しい感情がこの世にあったなんて…息の仕方も忘れてしまいそうな程の…苦しみ。


自分が探偵で良かったと、これほど思ったことはない。


ポーカーフェイスが上手くて、これほど助かったと思ったことはない。


これから言う言葉は…サヨナラの言葉よりも……残酷なものだから…。





―― だから…服部…頼むから……どうか……





「でももう、服部のこと、そういう風に見れねぇ。好きじゃねぇ…否、違うな…」




ふっと口元に笑みを浮かべると、冷え切った眼差しを平次に向けた。









「俺は服部が…嫌いだ」









―― …どうか…俺を…憎んで……決して… 許さないでくれ ――――










平次の瞳が酷く傷ついた色を浮かべる。それさえも無視して、新一は続けた。


「コレが俺の本音だって、お前なら解るだろ?西の名探偵?」


呆然とする平次の瞳を反らすことなく見つめる。


「じゃ、そういうことだから。バイバイ、服部」


そう言って新一は笑顔を浮かべながら平次に背を向け、一つ平次に視線を送ると二度と振り返ることなく部屋を出て行った。

扉が閉まるバタン、という乾いた音は…冷たく部屋に響いた気がした。










 











新一は家に着き、玄関のドアを閉めると、そのままずるずると座り込んだ。

正直、どこをどう通って家に帰ってきたのか覚えていない。



覚えているのは……心底傷ついていた平次の顔だけ……。




「…ははっ……役者になれんじゃねぇの、俺…」




乾いた笑いをこぼして震える手をしっかりと握り締めるが、少しも震えは収まらない。


『冗談やろ、工藤ぉ!!』


心が引き裂かれるような……そんな声だった。


そんな声を……顔を……新一がさせてしまった。



平次からしてみれば、突然の裏切りとしか見えないだろう。

けれどそれでいいのだ。

平次は悪い男に騙されて弄ばれていただけ。



いっそ…憎んで……恨んで……。



……忘れて欲しい………。






「……もう、いい、よな…?」





誰に言うでもなく、ポツリと呟く。

もうここは自分しかいない自分の家で。鍵もかけたし他の人は入れないから。


―― …誰も……いないから……もう、いいだろ…?……我慢なんか…しなくたって……



瞬間、視界がぼやけて熱いものが頬を濡らした。



「っ〜〜」



涙を堪えようと上を向くのだが、そんなことが役に立ちはしない。


後悔は、これからもずっと……死ぬまでするのだろう。


けれど、これが自分にできる精一杯。



自分が平次に与えられる、唯一のもの。



「っ…と、り……」



もう、呼ばない。



「…服部………」



もう……逢わない…。



「…服部…服部っ…はっと、りっ…」



これは別れではない。


平次と出会う前に、戻るだけ…。


他人として…すれ違っても気付かなかった頃に……戻るだけ…。





そう………思うのに………。






「っ…服部っ!!!服部、服部服部!!!」






…気持ちが…全然ついていかない…。



涙が幾筋も頬を伝い落ちる。

悲しみに耐えようと拳を握り締め、唇をキツク噛み締める。



平次を裏切った自分が泣ける立場ではないことは解っている。

けれど、こんな日くらい、許してくれるだろう。



愛する人と決別して……死ぬよりも辛い、こんな日くらいは。






―― …幸せに…なれ……服部………誰よりも、幸せに……





こんな事以外何もできないけれど。

ずっとずっと、祈っている。想っている。

たとえ離れても新一の心は変わらない。

切なさに心を焼きつくされて…息が止まったとしても…。





―― ……好きだよ、服部………俺にはお前だけだ…ずっと……ずっと……







これが、最初の恋で。






最後の、愛だ…。
















新一が別れを口にしてしまいました
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